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文章は、読み手によってその評価は大きく変化します。 論理的に矛盾がなく、理路整然とした文章が書き上がったとしても、評価をする人間との価値観がずれていれば、それは駄文以外の何ものでもありません。 短絡的な人は、理論が通っていることをよしとしますが、それは狭いものの見方というものです。人の心を動かす、人を説得させる文章の方が大切なのです。 君たち児童生徒に課せられている意見文・弁論文・主張文もそうです。「自分の考えを素直に、そしてありのままに述べよ」とセンセイ方はおっしゃられます。しかし、それをうのみに意見文・弁論文・主張文を書いてしまうと、苦労が報いられることのない低い評価しか得られない場合もあります。書き直しを命じられるケースもあります。悪い例として、授業中に読み上げられることがないとは言えません。裏の意味を、センセイが何をお求めになられているのかを察知するのが児童生徒のつとめなのです。 まず、意見文・弁論文・主張文で高い評価を得るには、ふだん、センセイが授業中にどういうことをよくご発言なされるのか、アンテナを張り巡らせることがポイントになります。環境問題のことをお話になられるのか、平和のことについてお話になられるのか、人権についてお話になられるのか、読書の重要性をお説きになられるのか、何にご関心を示されているのかを、きっちりとつかみ取るのです。 人間、自分の興味のあることは熱心に聞きます。それは、センセイ方とはいえ、例外ではありません。センセイがご興味をお示しになられるテーマの意見文・弁論文・主張文を書けば、一生懸命お読みくださいます。ですから、ふだんセンセイがどんなことをよくお話になられるのか、思い出すことから意見文・弁論文・主張文のテーマ選びはスタートします。高い評価を得たいのならば、自分が興味のあるからとの理由でテーマを選んではいけないのです。 テーマを選んだら、センセイがふだんお話になられる、その方向と深さを測定します。日ごろお話になられる内容から、君たちが書くべき意見文・弁論文・主張文の方向性と深さが決定されます。 同じテーマでもどこまでつっこむのか、どの方向に持って行くのか、的確な判断を下してこそ、高い評価を得ることができます。 ふだんからセンセイの言動を観察が大切になります。
空気を読む訓練、それが意見文・弁論文・主張文を書く真の意味なのです 意見文・弁論文・主張文を文字通りに解釈すると、「自分の主義主張を文章化したもの」となります。 しかし、いくら自分の思ったことを書け、発表しろと言われても、それは建前に過ぎません。バカ正直に受け取ってしまうと、「空気の読めないヤツ」と判断され、悲惨な評価が待ち受けています。 意見文・弁論文・主張文にしろ読書感想文にしろ、「文章の訓練」というお言葉で表現なされるセンセイ方がいらっしゃいます。しかし、これは間違いです。原稿用紙3枚〜5枚の文章を書いただけで、文章が上達するはずもありません。文章を上達させるには何万文字、何十万文字と書かねばなりません。 君たち児童生徒に求められるのは、学校という場所で発表する文章には、何をどのように書けばいいかを常に意識し、察知する能力です。こういうお考えをお持ちになられていらっしゃるセンセイが評価されるのだから、こういうテーマを選び、こういう方向性で書けば高い評価を得られるということを理解することです。 学校には学校の空気があります。センセイ方の授業にもそれぞれ空気があります。その空気を読むことこそが、大切なのです。
ニュースについてあれこれ書いている人気のあるホームページやブログを継ぎはぎし、文体を整えれば、意見文・弁論文・主張文はあっという間に完成します。しかし、君たち児童生徒はこれをやってはいけません。インターネット上で主流となっている考えと、皆さんの意見文・弁論文・主張文を採点してくださるセンセイとのお考えの方向性は違う可能性があるからです。 学校のセンセイ方は、進歩的なお考えをお好みになられる傾向があります。また、教育という聖職に携わられる人間らしく、常に高い理想を持ちお仕事にあたられていらっしゃいます。このことを理解しないと、高い評価を得ることはできません。 君たちは社会人になると、「こういう仕事をしたい」「こういう製品を作りたい」と思ったら、企画書というものを書くことになります。この企画書に求められているのは理路整然さでも、理論の完ぺきさでもありません。企画にゴーサインを出す人間をどう動かすか、この一点が勝負になります。 君たちの場合は、文章を評価なされるセンセイの心をどう動かすか、児童生徒の腕の見せ所になります。文章を書く目的は、相手を説き伏せることです。相手をどう動かし、自分の目的を実現するか、これを学ぶのが学校での作文の意味なのです。 君たちの場合は、より高い評価を得ること、社会人は自分の企画を通すこと、そのためにあれこれ思案をして文章を書き上げることになるのです。
文章の評価は上手下手に加えて好き嫌いと基準もある 学校に文章を提出する児童生徒諸君に覚えておいてほしいことがあります。文章には上手下手に加えて、好き嫌いがあるということです。上手な文章でも、嫌い、おもしろくないと思う場合があります。文章はつたなくても、読んでおもしろい、共感するという文章もあります。 上手な文章で持つならないものの代表と言えば、読書感想文の課題図書でしょう。偉いセンセイ方がお選びになられるのですから、それらの本の文章が下手と言うことはありません。しかし、おもしろくありません。感想を書けといってもおもしろくないから、何を書けばいいのか分からない、悩みまくる児童生徒が日本全国にあふれかえることになります。 文章の上手下手だけで、客観的に評価がされるわけでないというのを感じるときもあるでしょう。自分よりも下手な作文や読書感想文にもかかわらず、高い評価を得ているのがあるのをおかしい、それがその瞬間なのです。なんであんな下手なの入選し、自分の作文がはねられてしまう、納得いかない思いをしたことがあるはずです。理由は簡単。それは君の書いた文章が、評価をなさるセンセイ方のお好みに合わない、それだけのことなのです。 文章の好き嫌いは、書き手が決めることではありません。評価をしてくださるセンセイ方がお決めになられることなのです。センセイがお気に召される文章を書く、それが君たち児童生徒の仕事なのです。 自分の思ったことを素直に書けとおっしゃりながら、自分のお考えに沿った文章に高い評価をくださる、それが学校、世の中というものなのです。 言葉の裏にある意味をきちんと理解していないと、とんでもない目に遭うのです。